東京地方裁判所 昭和63年(ワ)18142号 判決 1993年12月07日
原告
中根達雄
同
中根めぐみ
右法定代理人親権者父
中根達雄
右両名訴訟代理人弁護士
伊藤末治郎
同
山嵜進
亡鈴木幸二承継人被告
鈴木京子
同
鈴木真
同
鈴木二郎
亡田中文昭承継人被告
田中禮子
同
田中攻
右両名法定代理人相続財産管理人
田中禮子
右被告ら訴訟代理人弁護士
平沼高明
同
堀井敬一
同
木ノ元直樹
主文
一 原告両名それぞれに対し、被告鈴木京子は金一三三七万一七一九円、被告鈴木真及び被告鈴木二郎はそれぞれ金六六八万五八五九円、被告田中禮子及び被告田中攻は、いずれも被相続人田中文昭の相続財産の限度において、それぞれ金一三三七万一七一九円、及びこれらに対する昭和六三年九月四日から支払済みまで年五分の割合の金員を、承継前被告を異にする被告らの間においては右各金員の限度でいずれも連帯して支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を被告鈴木京子、同鈴木真、同鈴木二郎の、その余を被告田中禮子、同田中攻の各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告田中禮子及び同田中攻について「被相続人田中文昭の相続財産の限度において」とする部分を除き、主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 承継前被告鈴木幸二(以下「鈴木」という)は、神奈川県川崎市多摩区登戸三三五五番地において鈴木産婦人科医院(以下「被告医院」という)を開設していた医師であり、承継前被告田中文昭(以下「田中」という)は、被告医院に勤務する医師であった。
(二) 訴外亡中根泰子(昭和三〇年二月二日出生、以下「泰子」という)は、昭和六二年八月から、被告医院において治療を受けていたものであり、後記の理由により、昭和六三年九月三日、同医院において死亡した。
(三) 原告中根達雄(以下「原告達雄」という)は、泰子の夫であり、原告中根めぐみ(以下「原告めぐみ」という)は、泰子と原告達雄の間に昭和五七年二月一五日出生した子である。
2 子宮筋腫核出術及び胎児摘出処置の経過
(一) 泰子は、昭和六二年八月一八日、第二子を希望して被告医院において診察を受けたが、子宮筋腫が発見されたため、その治療(子宮筋腫核出術)と右手術後の妊娠指導及び分娩等の診療を受けることとなった。
ここに、泰子と鈴木の間に、鈴木が医師として泰子の右症状と希望に対し適切かつ十分な医療行為をすべきことを内容とする診療契約が締結された。
泰子は、同年一二月一六日、被告医院において、田中及び橋村某の執刀により、子宮筋腫核出術(以下「本件核出術」という)を受けたが、その際、田中が、子宮から筋腫核を剥離するために剪刀を用いたため、泰子の子宮壁を切開し、子宮腔が一部開放された。
(二) 泰子は、本件核出術後も子供を得ることを希望していたので、田中らに相談したところ、同人らは、泰子に対し、妊娠すれば右手術の際に子宮にできた傷の治癒も早くなるとして妊娠を勧めた。そこで、泰子は、右指導に従い、昭和六三年三月、第二子を妊娠した。
(三) ところが、泰子は、同年四月ころから、長期に及ぶ嘔吐、下腹痛、食欲不振、便秘、度重なる性器出血に悩まされ、同年八月ころになると、まるで臨月のように腹部が膨らみ、同年九月一日、前期破水を来した。そこで、泰子が、同月二日、被告医院において田中の診察を受けたところ、田中は、泰子に対し、子宮に菌が入ったので子供は育たないといって胎児摘出を勧めた。そこで、泰子は、田中の勧めに従い胎児摘出の処置を内容とする医療契約を締結し、同月三日から四日にかけて、胎児摘出処置(以下「本件胎児摘出処置」という)を受けることとなった。
(四) 泰子は、同月三日午前一〇時ころ、被告医院の処置室に入った。そして、同日午前一一時ころ、田中によって胎児摘出処置として泰子の子宮口にラミナリア六本が挿入された。その後、泰子は、被告医院二階の待機室に移され、さらに同日午後三時ころ、三階の個室に移された。
(五) 原告達雄は、同日午後三時ころから午後五時ころまで、泰子に付き添っていたところ、泰子が大変苦しんだので何度も看護婦を呼んだ。しかし、看護婦は鎮痛剤であるペチロルファンを一回だけ注射したにすぎなかった。
その後、原告達雄が、同日午後五時ころ、知人に預けていた原告めぐみを迎えに行くため被告医院から外出し、同日午後六時三〇分ころに戻って来ると、泰子のいる病室には酸素ボンベ等の器具が持ち込まれ、田中が泰子に人工呼吸を施しており、同日午後七時ころ、田中は、原告らに対し、泰子の死亡を告げた。
3 泰子の死因
昭和六三年三月に妊娠の際、受精卵は、泰子の子宮の正常な部位(子宮底部付近)に着床し、それ自体に問題はなかった。しかし、胎児が成長するに伴い、胎嚢の大部分は、本件核出術によって子宮壁の薄くなった部分から徐々に子宮の外側すなわち腹腔の方に成長した。そして、同年九月三日、右のような状態下にあって、泰子の子宮口にラミナリア六本が設置されたことに刺激され、同日午後二時ころ、子宮破裂に至ったものである。そのため、泰子は、同日午後七時ころ、右子宮破裂による失血によって死亡した。
4 田中の過失
(一) 本件核出術の不適切
本件核出術の際、泰子の子宮筋腫は子宮後壁にあり、特に筋腫核出術には広い視野が必要であるから、腹壁の切開は下腹部正中切開によるべきなのに、田中は、横切開によって腹壁を切開した。
また、筋腫核露出後の剥離操作は子宮内膜を損傷しないように極力慎重に行うべきなのに、田中は、子宮壁を切開し、あたかも帝王切開と同様の事態を招来させた。
さらに、田中は、本件核出術にあたり出血についても配慮を怠り、二七四グラムの血液を出血させ、また、縫合糸の選択を誤り、縫合も多層にわたり、かつ過強にすぎたため、止血には有効でも、かえって治癒を妨げて縫合不全を招来した。このような不手際にもかかわらず、田中は自己の処置につき自制しようとせずに過信し慢心していた。
(二) 適切な妊娠指導義務の懈怠
一般に、帝王切開や子宮筋腫核出術等によって子宮壁を切開すると、その後の妊娠における子宮破裂の原因となりかねないので、子宮の手術創が治癒するまでの期間として一年間、少なくとも六か月間は避妊するように指導し、さらに子宮卵管造影検査(ヒステロスコピー)等により手術創の回復状況を観察して適当な時期に妊娠するように指導する義務があるにもかかわらず、田中らは、右各注意義務を怠り、子宮壁が十分に治癒していない時期に、子宮の状態についてなんら確認することなく、漫然と本件手術後早期に妊娠するよう積極的に指導した。
(三) 妊娠後の適切な経過観察義務の懈怠
一般に、医師は、妊娠後分娩までの各段階において妊婦、胎児及び胎嚢が正常であるかを確認する義務がある。特に、本件は核出術実施後わずか三か月あまりで妊娠した事例であり、同手術部分から妊娠に異常が生じないかにも留意し、超音波断層検査やエックス線検査のような方法を駆使して万全を期すべきであった。しかるに、田中は、過信・慢心により、昭和六三年六月三日及び同年七月一五日に超音波断層検査を実施したにもかかわらず泰子の異常妊娠に気づかず、その他の検診の際にも慎重な内診や超音波断層検査を欠いた結果、泰子の異常妊娠を看過し、正常妊娠と誤診して泰子に妊娠指導をしていた。
(四) ラミナリア設置の際の不手際
胎児摘出処置にあたっては、母体の安全に万全を期すべきであり、処置の前に十分な検査をして子宮や胎児の状態を把握し、子宮外妊娠であれば開腹手術による等の適切な方法によって処置すべきである。しかも、本件胎児摘出処置の際には縫縮手術を考慮してもよいような子宮口の開大があったのであるから、中絶の処置としては抗生物質を投与して様子をみるか、子宮頸管の弛緩剤を投与して様子をみるべきであったのに、田中は、胎児摘出処置として、安易にラミナリアを六本も子宮口に挿入した。
右適切な処置をしておれば、子宮破裂の事態は避け得た。
(五) 子宮破裂を看過した過失
田中は、胎児摘出処置としてラミナリアを用いたところ、ラミナリアは一二時間から二四時間水分を吸収して膨張し、子宮口を拡大するとともに、子宮に刺激を与えて分娩を促すものであり、ラミナリアの使用には子宮破裂の危険がある。本件においては、本件胎児摘出処置後、泰子は、午後二時ころには前記のとおり子宮破裂の症状を発症していたものであり、同時刻ころから、破裂切迫症状や腹膜刺激症状が生じており、泰子は大変苦しんでいたのであるから、医師としては、子宮破裂を疑い、速やかにラミナリアを抜去し、緊急開腹手術により、子宮裂傷部を縫合し、あるいは子宮全摘出手術を実施して泰子を救命する義務があった。しかるに、田中は、午後三時ころには、目の行き届かない三階の個室に泰子を放置し、泰子の苦しみを見かねた原告達雄が何度も泰子の様子を告げにいったのに、忙しさにかまけて真剣に受け止めず、単に鎮痛剤を一回注射したのみで、なんら泰子の状態並びに痛みの部位、種類及び性質などについて注意を払わず漫然とこれを放置し、泰子に対する救命措置を怠った。
また、泰子の右の苦しみを認識しながら漫然とこれを放置した当時の被告医院の看護婦田澤久(以下「田澤」という)らの看護ミスも併せて主張する。
5 鈴木及び田中の責任原因
田中は、前記の過失によって泰子を死に至らしめたものであるから、民法七〇九条により後記の損害を賠償する責任を負う。
鈴木は、田中の使用者であり、また前記のとおり泰子と診療契約を締結したものであるから、民法七一五条の使用者責任又は診療債務の不履行責任を免れない。
6 損害
(一) 葬儀費用 七〇万円
泰子死亡後、同人の葬儀が実施されたところ、昭和六三年度において本件医療事故と相当因果関係を有する葬儀費用は、控えめにみても七〇万円を下らない。
(二) 泰子の損害
(1) 逸失利益 金四六八八万三九七〇円
泰子は、昭和四九年三月に山梨県立吉田高等学校普通科を卒業したものであり、死亡時(昭和六三年九月三日)の年齢は三三歳である。泰子は主婦であるので、死亡についての逸失利益は賃金センサス第一巻第一表の「年齢階級別、きまって支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」(以下「賃金センサス」という)によるのが合理的である。
昭和六三年分の損害は、八七万一七六五円から生活費三〇パーセントを控除した六一万二三五円。
但し、同年の賃金センサスによれば、高校卒業女子三三歳の年収額は二六七万三九〇〇円であり、右金額の三六五分の一一九である。
平成元年分の損害は、高校卒業女子三四歳の年収額二七三万七八〇〇円から生活費三〇パーセントを控除した一九一万六四六〇円。
平成二年分の損害は、高校卒業女子三五歳の年収額二九五万三四〇〇円から生活費三〇パーセントを控除した二〇六万七三八〇円。
平成三年分の損害は、高校卒業女子三六歳の年収額三〇七万七八〇〇円から生活費三〇パーセントを控除した二一五万四四六〇円。
平成四年分の損害は、高校卒業女子三六歳の年収額三〇七万七八〇〇円から生活費三〇パーセントを控除した二一五万四四六〇円。
但し、三七歳。なお、同年の賃金センサスではなく、前年の水準によった。
平成五年度分以降 三七九八万〇九七五円
但し、同年における泰子の年齢は三八歳で、その年収額は三〇七万七八〇〇円を下ることはなく、その就労可能年数は二九年であり、その新ホフマン係数は17.625である。生活費控除割合を三〇パーセントとする。
(2) 慰謝料 二四〇〇万円
鈴木及び田中の過失が重大であり、かつ、泰子は死の直前約五時間にわたって、同人らの不注意により激痛に苦しんだことが明らかであるので、現時点の一応の基準である二〇〇〇万円に四〇〇万円を加算する。
また、原告らが敢えて固有の慰謝料を主張しないのは、その分が右慰謝料によってまかなわれるとの趣旨であることを考慮されたい。
(3) 弁護士費用 四〇〇万円
本件事案の特殊性に鑑み、本件医療過誤と相当因果関係を有する弁護士費用は、四〇〇万円を下らない。
(三) 以上、泰子の蒙った損害は合計七五五八万三九七〇円であるところ、原告らは、それぞれその二分の一に相当する三七七九万一九八五円の損害賠償請求権を相続した。
7 被告らの地位の承継
鈴木及び田中は、泰子に対し、右と同金額の損害賠償責務を負っているところ、鈴木は平成二年九月二二日死亡し、同人の妻である被告鈴木京子、並びにその子である被告鈴木真及び被告鈴木二郎は、各法定相続分に従い、被告鈴木京子において二分の一、被告鈴木真及び同鈴木二郎において四分の一ずつ鈴木の右債務を承継した。
田中は平成四年七月三日死亡し、同人の妻である被告田中禮子及びその子である被告田中攻は、各法定相続分に従い、二分の一ずつ田中の右債務を承継した。
8 よって、原告両名は、それぞれ被告らに対し、右不法行為または債務不履行に基づく前記損害金七五五八万三九七〇円のうち金五三四八万六八七六円の各二分の一に相当する金二六七四万三四三八円につき、請求の趣旨記載のとおりの各被告の承継分に相当する金員、並びにこれに対する不法行為の翌日である昭和六三年九月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払(鈴木と田中の各損害賠償債務については連帯して支払うこと)を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)(二)の事実は認め、同(三)の事実は不知。
2 請求原因2(一)(四)の事実は認める。
請求原因2(二)の事実のうち、泰子が本件核出術後も子供を得ることを希望していたこと、泰子が昭和六三年三月に第二子を妊娠したことは認め、その余は否認する。田中が右手術後泰子に対し妊娠を勧めた事実はない。
請求原因2(三)の事実のうち、泰子が、四月ころから、嘔吐、下腹痛(但し、月経痛である)、食欲不振、便秘、性器出血(但し、月経のことである)等の症状を訴えたこと、泰子が昭和六三年九月一日に前期破水したこと、泰子が同月二日に田中の診察を受けたこと及び田中が泰子に対し胎児摘出処置を勧めたことは認め、その余は否認する。
原告は、泰子が同年八月ころになるとまるで臨月のように腹部が膨らんでいた旨主張するが、泰子が八月六日に来院した際の腹囲は79.5センチメートルであり、妊婦としては普通の状態であった。
請求原因2(五)の事実のうち、原告達雄が午後三時から五時にかけて泰子に付き添っていたこと、看護婦がペチロルファンを注射したこと、田中が午後六時三〇分ころ泰子に人工呼吸を施したこと及び午後七時ころ原告らに対し泰子の死亡を告げたことは認め、原告達雄が原告めぐみを迎えに外出したことは不知、その余は否認する。
3 請求原因3の事実のうち、昭和六三年三月の妊娠の際に受精卵が子宮の正常な部位に着床したこと及び泰子が同年九月三日午後七時ころ子宮破裂による失血によって死亡したことは認め、胎嚢が子宮壁が薄くなったところから子宮の外側に成長したことは不知、その余は否認する。
4 請求原因4(一)の事実のうち、田中が横切開によって腹壁を切開したこと、子宮壁を切開したこと及び二七四グラムの血液を出血させたことは認め、その余は否認する。
請求原因4(二)の事実のうち、一般論として子宮壁を切開すると後の妊娠における子宮破裂の原因となりかねないこと及び子宮壁の治癒に必要な期間は避妊するように指導すべきであることは認め、その余は否認する。
請求原因4(三)の事実のうち、一般に医師には妊娠の各段階において妊婦等が正常かどうか確認する義務があること、本件は子宮筋腫核出手術後三か月で妊娠した事例であって本件手術部位から異常が生じるかにも留意し、超音波断層検査やエックス線検査によって万全を期すべきであること及び昭和六三年六月三日と同年七月一五日の両日に超音波断層検査を実施しその他の診察日にも検診をしたことは認め、その余は否認する。
請求原因4(四)の事実のうち、一般論として胎児摘出処置にあたっては母体の安全に万全を期すべきであり、処置の前に十分な検査をして子宮等の状態を把握し子宮外妊娠であれば適切な方法によって処置を取るべきであることは認め、その余は否認する。
本件は子宮外妊娠ではなかった。
請求原因4(五)の事実のうち、田中がラミナリアを用いたこと、ラミナリアが一二時間から二四時間水分を吸収して膨張して子宮口を拡大することは認め、その余は否認する。
5 請求原因5の事実のうち、鈴木が田中の使用者であったことは認め、その余は争う。
6 請求原因6(一)の事実のうち、泰子の死亡時の年齢が三三歳であることは認め、その余は否認ないし争う。
7 請求原因7の事実のうち、鈴木及び田中の各承継関係は認める。
(被告の主張)
1 被告医院における泰子の本件核出術後の診療経過について
被告医院における泰子の核出術後の診療経過は、以下のとおりである。
昭和六二年一二月一六日、本件核出術を行う。
同月二七日、退院。
昭和六三年一月六日、手術後の検査のために来院。
同月一四日、来院、手術創は良好。
同年四月一五日、月経痛を訴え、来院。
同月二三日、来院。月経痛にインテバンを、また月経による出血に対してトランサミンを処方する。
同年六月三日、来院。妊娠反応陽性であることから妊娠と認め、基礎体温から九週三日位と診断する。また、超音波検査で子宮外妊娠でないことを確認し、泰子に対し、性生活は絶対いけないこと、今後三ないし四週間に一度の割で通院することを指示する。
同年七月一五日、泰子が、右指示に反して約六週間ぶりに来院し、腹痛の後、茶色の出血があると訴えたため、診察したところ全く出血は認められず、手術創の離開等のおそれがないか判断するためCRP検査(炎症性疾患、組織の壊死等の急性期に出現する特有の蛋白質を検出する検査)をしたが陰性であった。そこで流産の防止のために投薬し、安静を指示した。また、超音波検査を施し、胎児の写っている写真を一枚渡した。
同年八月六日、来院。便秘とのことであるので下剤を与えた。
同年九月二日、来院。泰子は、その際、九月一日から破水し、三〇分おきくらいにパットからはみ出すくらいにぬれており、その原因は前日の性交渉にあると思う旨述べた。そこで、田中は、診察したところ、破水は大量で両側大腿内面をぬらし、膣鏡を使用するとそれに水面を生ずるほどのものであった。そこで、田中は、泰子に対し、二二週の段階でこのように破水したら胎児はまず助からないこと、破水によって感染を起こし母体に危険が生ずることがあるから子供を出すしかないことを説明し、直ちに入院するように話したところ、泰子は、今日は入院できない、九月五日にもできないと言って入院を拒むので、抗生物質と抗菌剤を処方して帰宅させた。
同月三日午前一〇時ころ、泰子が、何の連絡や約束もなく突然に胎児摘出を希望して来院。そこで、心電図を撮って母体を検査し子宮の内診も行って異状のないことを確認したうえ、手術室で麻酔下にて、午前一一時六分、ラミナリア六本を子宮口におくように挿入して経過観察後、待機室に移してさらに経過観察をした。
同日午後二時、田中が回診したところ、泰子は、麻酔がきれたため、腹痛を訴えた。
同日午後三時ころ、病室(三階の個室)に移す。原告達雄の付添をさせるため便宜を図ったものである。
同日午後三時四〇分ころ、原告達雄から電話で泰子が痛がっているとの訴えがあった。
同日午後三時四五分ころ、医師の指示により看護婦がペチロルファン(鎮痛剤)を筋肉注射した。
同日午後五時ころ、原告達雄が看護婦詰所に顔を出し、これから子供を迎えに出かけますが、泰子がまだ痛がっているようなのでお願いしますといって外出した。
同日午後五時一〇分、看護婦がインテバン坐薬を処方した。特に異状はなかった。
同日午後五時四五分、看護婦が夕食を配膳した。泰子は、その際、ベッドに右を下にした状態で横になっていたが、特にひどい痛みを訴えているわけでもなく、普通の会話ができており異状があると認められなかった。
同日午後六時〇分、看護婦が病室に行ったところ、泰子がベッドに仰向けになって意識を消失し、口から泡を吹いているのを発見した。直ちに田中に連絡し、田中が駆けつけて気道を確保し、酸素マスクを使用して補助呼吸をしたが、脈拍が触れなくなるとともに自発呼吸が消失した。そこで、加圧呼吸、心マッサージを行ったが、同日午後六時二〇分ころ、心停止、呼吸停止、瞳孔散大の状態になった。その後も、心マッサージ、人工呼吸を継続したが全く改善がみられず、同日午後七時ころ、死亡と判断した。なお、その間、原因として腹腔内の出血を考慮して泰子の下腹部を観察したが、性器出血はみられなかった。
2 死因について
ラミナリアによる子宮頸管の拡張作用は急速でないことから、子宮破裂の危険性はなく、細菌感染を来す危険性を除けば、ラミナリアの使用には危険が少ないとされている。
田中は、当日午後二時の回診の際、泰子に子宮破裂を疑わしめる症状を認めていない。また、泰子は、午後五時一〇分に鎮痛剤であるインテバン坐薬を処方する際、自分で腰をうかして下着をはずし坐薬を挿入し、午後五時四五分ころにも異常な様子はみられなかった。子宮破裂においては前駆症状を欠くことがめずらしくないが、本件でも子宮破裂に伴う前駆症状の発現は特に認められず、泰子が午後六時に意識消失の状態になっていることからすると、本件子宮破裂は午後五時四五分から午後六時の間に生じたものと推定される。
3 田中の過失について
(一) 本件核出術の不適切について
本件において子宮壁を切開したことは、子宮筋腫核が大きかったことによるやむを得ない措置である。
また、出血量についても、本件核出術の具体的個別的事情を考慮すれば、特に出血量が多いわけではなく、仮に平均的な手術よりも出血量が多かったとしても、泰子が本件核出術から九か月後に死亡したこととの間にはなんら関係はない。
さらに、縫合方法についても、本件核出術の縫合は、まず子宮腔内露出部から始め、縫合糸として、クロミック・カットグットを使用して内膜辺縁を六ないし七ミリ間隔に縫い合わせて一層目とし、さらに一層目の縫合部の中間に二分の一ほどダブらせるように二層目の縫合をして子宮腔を閉鎖した後、次に筋層を一二ないし一三ミリ間隔で二層に縫合し、最後にインベルティングステッチによって縫い合わせている。したがって、手術部位の子宮壁が薄くなっているといったことはなかった。
(二) 適切な妊娠指導義務の懈怠について
田中は、昭和六二年一二月に本件核出術後泰子が退院する際に、三ないし四か月したら避妊しなくてもよくなると思うというような一般的な話はしたものの、手術創が治癒するまでは避妊すべきであるし、くれぐれも安静にして無理をしないようにとの指導を行っていた。そして、今後も一か月に一度くらいの割合で来院するように話したが、泰子は、昭和六三年一月三〇日以後田中らの右のような来院の指示に反して来院を怠り、同年四月一五日に月経痛を訴えて来院するまで一度も来院しなかった。そして、同年六月三日の来院で検査した結果、始めて同年四月の時点で同女が既に妊娠していたことが判明した。そのため、田中には、泰子を現実に診察したうえで、その診察結果を踏まえて同人に対する避妊の指導を解除する機会が存在しなかった。
(三) 妊娠後の適切な経過観察義務の懈怠について
子宮筋腫核出術の実施後三か月あまりで妊娠したことが特に早すぎるわけではなく、二か月で妊娠した症例もある。また、泰子は、前記のとおり原告主張のような異常妊娠でも子宮外妊娠でもなかったものであり、また、被告医院において泰子の妊娠が判明した後も、田中は泰子に適切な指導をしたにもかかわらず、泰子が定期的な来院を怠ったものであって、田中に原告指摘のような義務懈怠はなかった。
(四) ラミナリア設置の不手際について
ラミナリアの使用そのものに子宮破裂の危険があるものではないこと、並びに、田中が、本件ラミナリアを設置する前に、心電図をとり母体に異常のないことを確認し、また子宮の内診も行って、なんら異常のないことを確認したうえで、これを子宮口に挿入したことはいずれも前記のとおりであって、田中になんら落度はない。
(五) 子宮破裂を看過した過失について
本件は妊娠二二週の段階における子宮破裂であるが、分娩時以外に子宮破裂を起こすことは極めて稀であって、通常の予測を越える異常な事態であった。また、前記のとおり、田中又は看護婦は、泰子の死亡当日の午後二時ころ以降から午後五時四五分に至るまで、泰子に子宮破裂を疑わしめるような症状を現認しなかったものであり、右子宮破裂は午後五時四五分から午後六時の間に生じたと推定されるから、看護婦が泰子の異状に気づいた午後六時には、もはや泰子の救命の可能性はなく、また、原告主張のような誤診もなかった。
三 抗弁
(限定承認)
田中禮子及び田中攻は、横浜家庭裁判所に対し、限定承認の申述をなしたところ、同裁判所は、平成四年一〇月六日、右申述につき受理の審判をなし、右審判は同日告知された。
四 抗弁に対する認否
限定承認の効力を争う。
第三 証拠<省略>
理由
一当事者
請求原因1(一)(二)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、原告中根達雄本人尋問の結果及び<書証番号略>によれば、請求原因1(三)の事実を認めることができる。
二本件核出術及び胎児摘出処置、並びに泰子の死亡に至る経過
1 請求原因2(一)(四)の事実、並びに泰子が本件核出術後も出産を希望していたこと、同人が昭和六三年三月に第二子を妊娠したこと、同人が同年九月一日に前期破水したこと、同人が同月二日に田中の診察を受けたこと、田中が胎児摘出処置を勧めたこと、原告達雄が同月三日午後三時から五時にかけて泰子に付き添っていたこと、看護婦が泰子にペチロルファンを注射したこと、田中が同日午後六時三〇分ころ泰子に人工呼吸を施したこと及び同人が同日午後七時ころ原告らに対し泰子の死を告げたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実に、<書証番号略>、原告中根達雄本人尋問の結果と、<書証番号略>、承継前被告田中文昭本人尋問の結果と、<書証番号略>、並びに証人田澤久の証言を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 泰子は、昭和六二年八月一八日、第二子の出産を希望して被告医院において診察を受けたところ、子宮筋腫が発見されたため、その治療を受けることとなり、ここに泰子と被告医院の医院長である鈴木との間で、子宮筋腫核出術及び右手術後の妊娠指導等を内容とする診療契約が締結された。
被告医院に勤務する医師であった田中は、同年一二月一六日、本件核出術を行ったが、右手術においては、筋腫核が約三三〇グラムと大きかったため、これを子宮から剥離するために剪刀を用い、子宮内膜を損傷して子宮壁を切開した。
(二) 泰子は、同年一二月二七日退院し、翌六三年一月六日、一四日、一七日、に各通院して診察を受けたが、術後の経過は良好であった。また、同月二三日及び三〇日には風邪で通院し、風邪薬を処方された。
田中は、本件核出術の直後、経過がよければ三か月程度で妊娠することが可能となる旨の説明をしたが、その後の泰子の各来院の際に、田中が積極的に妊娠を勧める話をする機会はなかった。
(三) 泰子は、田中から一か月に一度は来院するように指導があったにもかかわらず、同年一月三〇日の後はしばらく通院しなかった。
(四) 同年四月一五日、泰子は「体がだるい。ガタガタになった。月経痛が前よりもひどくなった。」旨訴えて来院したので、田中は、働きすぎではないかと注意した。
次いで、同月二三日にも、泰子は来院し、腰が痛いと訴えたので、田中は、月経痛に対する消炎鎮痛剤インテバンと止血剤トランスアミンを処方した。
(五) 同年六月三日、泰子が基礎体温表を持参して来院したので、診察した結果、妊娠反応が出て九週三日位と判明した。そこで、田中は、超音波検査を施し、子宮外妊娠ではないことを確認し、泰子に対し、性生活は絶対にいけないこと、今後四週間に一度は来院すること等を指示した。
右のことから、泰子は同年三月末に妊娠していたことが判明した。
(六) 次いで、同年七月一五日、泰子が、前記指示に反して約六週間ぶりに来院し、腹痛の後、茶色の出血があると訴えたため、診察したところ全く出血は認められず、手術創の離開等のおそれがないか判断するためCRP検査(炎症性疾患、組織の壊死等の急性期に出現する特有の蛋白質を検出する検査)をしたが陰性であった。そこで流産の防止のために投薬し、安静を指示した。また、超音波検査を施し、胎児の写っている写真を一枚渡した。
同年八月六日、泰子が来院し便秘であると訴えたので、下剤を処方した。その際、泰子の腹囲は79.5センチメートルであり、妊婦としては普通の状態であった。
(七) 同年九月一日、泰子は突然前期破水した。
そこで、泰子は、同月二日、被告医院において田中の診察を受け、田中に対し、昨日から三〇分おきくらいにパットからはみ出すくらいにぬれており、原因は性行為にあると思う旨述べた。
田中は、破水から既に二四時間を経過していること、また、診察の結果、破水は大量で両側大腿内面をぬらし、膣鏡内に水面を生じるほどであったことから、泰子に対し、二二週の段階でこのように破水したら胎児はまず助からないこと、破水によって感染を起こし母体に危険が生じることがあるから子供を出すしかないことを説明し、直ちに入院するように話した。
しかし、泰子は、「今日は入院できない。五日も入院できない。」といって、入院を拒んだので、抗生物質と抗菌剤を処方しただけで、その日は帰ってしまった。
(八) ところが、泰子は、同月三日午前一〇時ころ、突然被告医院を訪れ、胎児摘出処置を希望した。
そこで、田中は、心電図検査及び子宮の内診をしたうえ、泰子を被告医院の処置室に入れ、同日午前一一時六分、胎児摘出処置として長さ八〇ミリメートルのラミナリア(天然の海草を主体として作られた、子宮頸管を拡張させる器材)六本を泰子の子宮口に挿入した。右挿入後、泰子は、被告医院二階の待機室に移されたが、その後、看護婦の判断により原告達雄が看病できるように同日午後三時ころ泰子を被告医院三階の個室に移した。
(九) 一方、田中は、同日午後二時前ころから、被告医院内の回診を始めていたが、回診が終わりかけたころ、たまたま泰子が右のように病室を車椅子で移動するところに出合ったので、看護婦にその点を問い糺した。その際に泰子は腹痛を訴えたが、田中は、ラミナリア挿入後の痛みであろうと判断し、特段の処置はしなかった。
以後、田中が、右三階の病室において泰子を回診したり、診察したりすることは全くなかった。
(一〇) 原告達雄は、同日午後三時ころから五時ころにかけて、三階の右病室で泰子に付き添っていたところ、泰子がひどく苦しんだため三回ほど看護婦である田澤らに訴えて処置を求めた。しかし、田澤らは、泰子の痛みはラミナリア挿入後のものであろうと判断し、その都度原告達雄の右訴えを田中に報告しなかったため、田中は原告達雄の右訴えを田澤らから一回聞いたにすぎず、田澤らに命じて、同日午後三時四五分に鎮痛剤であるペチロルファンの筋肉注射を、同日午後五時一〇分に同じく鎮痛剤であるインテバン坐薬をそれぞれ処方させたのみで、泰子を診察する等して泰子の痛みの実態を把握し、あるいは脈拍、血圧、呼吸数を観察する等の処置を何らとらなかった。
(一一) その後同日午後六時〇分、田澤が病室に行ったところ、泰子がベッドに仰向けになって意識を消失し、口から泡をふいているのを発見した。田澤は直ちに田中に連絡し、田中は駆けつけて気道を確保し、酸素マスクを使用して補助呼吸をしたが、泰子は脈拍が触れなくなるとともに自発呼吸が消失した。そこで、田中らは、加圧呼吸、心マッサージを行ったが、泰子は、同日午後六時二〇分ころ、心停止、呼吸停止、瞳孔散大の状態となった。その後も、田中らは、心マッサージ、人工呼吸を継続したが、泰子の症状に全く改善がみられず、同日午後七時ころ、泰子は死亡した。なお、田中は、その間、原因として腹腔内の出血を考慮して、泰子の下腹部を観察したが、性器出血はみられなかった。
(一二) 一方、原告達雄は、同日午後五時ころ、知人に預けていた原告めぐみを迎えに行くため、田澤に対し、泰子がまだ痛がっているからよろしくお願いしますと言って、被告医院から外出し、同日午後六時三〇分ころ、原告めぐみを伴って被告医院に戻ってきたが、泰子の入室していた病室には酸素ボンベ等の器具が持ち込まれ、田中が泰子に人工呼吸を施しており、入室することができなかった。そこで、原告らが同室付近に待機していたところ、同日午後七時ころ、田中に泰子の死亡を告げられた。
3 以上の事実が認められ、右の(九)及び(一〇)に認定した事実に反する前記田中本人尋問の供述部分及び証人田澤の証言部分は相互に矛盾し、信用することができない。
なお、原告らは、田中が本件核出術後早期に妊娠すれば同手術における子宮切開による創傷の治癒も促進されるとして泰子の妊娠を勧めたために、泰子は右指導に従って妊娠したと主張し、原告達雄本人尋問の結果及び<書証番号略>中には右主張に沿う供述及び記載部分もあるが、右は田中本人尋問の結果及び<書証番号略>並びに前認定の事実経過に照らし、たやすく信用することができない。むしろ、前認定の事実経過によれば、田中は、本件核出術の直後に、泰子に対し、経過が良好であれば三か月程度で妊娠可能となるであろうとの見込みを述べただけで、その後泰子が昭和六三年一月三〇日から同年四月一五日まで被告医院に通院しなかったこともあって、泰子に対し、妊娠を許可する等の指導をする機会を失っていたことが認められる。
三死因
1 次に泰子の死因について判断するに、昭和六三年三月の妊娠の際に受精卵が子宮の正常な部位に着床したこと、泰子が同年九月三日午後七時ころ子宮破裂による失血によって死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。
2 そして、前認定のとおり、泰子は、遅くとも午後三時ころから激しい下腹痛を感じていたところ、証人伊藤順通の証言と<書証番号略>によると、解剖医である右伊藤医師は、本件における泰子の出血量が約三五〇〇ccであること、羊膜には太い血管が存在しないことから右の出血は相当長時間かけて徐々に浸出したとみられること、その他警察官が医師から事情聴取した様子等の事情を総合的に判断して、泰子の子宮破裂は午後二時ころには発生したものと推定していることが認められる。また、<書証番号略>、証人一宮勝也の証言と<書証番号略>、並びに右伊藤医師の証言によれば、子宮破裂が生じると裂傷部分からの出血により腹膜が刺激されて強度の下腹痛が起き、多くは破裂孔よりの出血や腹膜刺激症状により急激なショック症状を来すこと、子宮破裂には、子宮筋層のみが損傷して腹膜の健全な場合である不全子宮破裂と、子宮体、腹膜ともに損傷する全子宮破裂とがあり、全子宮破裂の場合は破裂時に激痛を訴えショック症状に陥ること、不全子宮破裂の場合は全子宮破裂に比べ症状は軽いことが多いが、大量の内出血を伴う場合にはショック症状に陥ること、また、過度伸展による子宮破裂の症状としては、前駆症状が認められることが多いが、子宮筋の解剖的変化による場合の症状としては、前駆症状を欠く場合が多いことがそれぞれ認められる。
本件においては、前記伊藤医師の証言から泰子の出血は時間をかけて浸出したと認められること、泰子は少なくとも午後三時以降終始下腹部の激痛を訴えていたこと、最終の出血量が三五〇〇ccであったことからすると、右各証拠によっても、泰子の子宮破裂が全子宮破裂か不全子宮破裂かは必ずしも明らかではないが、泰子の右子宮破裂は遅くとも午後三時ころには発生していたものと推定するのが相当である。
また、右伊藤医師の証言及び検証の結果によれば、泰子は、胎児の成長に伴い、子宮底部の筋層が子宮口部のそれに比べ極端に薄くなり、ついには子宮破裂に至ったものであることが認められる。
3 この点に関し、被告らは、子宮破裂においては前駆症状を欠くことがめずらしくないところ、田中が午後二時ころ回診した際、泰子には子宮破裂を疑わしめる状況はなく、田澤が午後五時一〇分にインテバンを処方する際、泰子は自分で下着をはずし坐薬を挿入したうえ、午後五時四五分に田澤が食事を運んだ際にも異常な様子はみられなかったのであり、泰子が午後六時に意識消失の状態になっているところを田澤に発見されたことからすると、本件子宮破裂は前駆症状を欠くものであり、午後五時四五分から午後六時の間に突発的に発生したものである旨主張する。
しかし、田中が午後二時ころ回診したとの事実が認められないこと、また泰子が午後三時ころに病室を移動する際に田中が出会ったときにも、泰子が腹痛を訴えていたことはいずれも前認定のとおりである。
また、前記証人田澤の証言及び田中本人の供述によっても、午後五時一〇分にインテバン坐薬を処方する際に、泰子が自ら下着をはずして坐薬を挿入したとの事実を認めることはできない。
さらに、右田澤の証言及び<書証番号略>中には、田澤が午後五時四五分に夕食を配膳した際、泰子に異状がないように感じられたとする証言部分があり、看護記録にも「夕食配膳時異常なし」と記載されたことが認められる。しかし、他方、同証人の証言によると、田澤の右判断ないし記載は、同人が夕食を配膳した際に泰子に声をかけたところ、泰子はベッド上で横になったままでかすかに返事をしたように感じられたということを意味するにすぎないことが認められ、この事実と前認定のとおり子宮破裂による出血が進行すると妊婦はショック状態となることからすれば、泰子は、午後五時四五分には、既に右ショック状態に陥っていたと認められ、これらの事実に照らすと、右証人田澤の右証言部分及び<書証番号略>の右記載部分も、遅くとも午後三時の時点で本件子宮破裂が生じていたとの前認定を妨げるものではなく、午後五時四五分から午後六時の間に子宮破裂が突発的に発生したとする被告らの前記主張は採用することができない。
4 他方、原告は、胎児が成長するに伴い胎嚢の大部分は本件核出術によって子宮壁の薄くなった部分から子宮の外側に成長したところ、本件胎児摘出処置により子宮口にラミナリアが設置されたことによって子宮が刺激されて右部分が破裂し、本件子宮破裂が生じたと主張する。
しかし、<書証番号略>及び前記伊藤医師の証言、並びに検証の結果を総合しても、本件において、胎児の成長に伴い胎嚢の大部分が本件核出術により子宮壁の薄くなった部分から子宮の外側に成長したとの事実を認めることはできない。
また、右伊藤医師の証言及び前記証人一宮勝也の証言中には、ラミナリアを挿入したことにより子宮を刺激して本件子宮破裂を惹起したとする部分があるが、右は前記田中本人尋問の結果及び証人田澤の証言並びに<書証番号略>に照らし、たやすく信用することができず、<書証番号略>中の各記載部分も右判断の妨げとはならない。
さらに、右各証拠に<書証番号略>を総合するも、本件子宮破裂が子宮の後面に生じたことは認められるものの、本件核出術による瘢痕が後の妊娠における子宮破裂の原因となることがあり得るという一般的な事実を認めることができるにすぎないのであって、他に本件子宮破裂が本件核出術によって薄くなった部分に生じたとの事実を認めるに足りる証拠はない。
5 以上のとおり、泰子の死因として、泰子は昭和六三年三月に妊娠し、その際の受精卵の着床部位は正常であったものの、その後子宮底部の筋層が極端に薄くなり、遅くとも同年九月三日午後三時ころ子宮破裂が生じ、徐々に右破裂に基づく出血を伴った結果、同日午後七時ころ右子宮破裂による失血によって死亡したものと認めることができる。
四田中の過失
以上認定の事実を前提として、田中の過失について判断する。
1 本件核出術の不適切について
原告らは、本件核出術の腹壁切開に当り下腹部正中切開によるべきなのに、田中は横切開によって腹壁を切開し、また子宮筋腫核剥離に際しては子宮内膜を損傷しないように慎重に行うべきなのに、田中は子宮壁を切開し、さらに田中は本件手術に当り出血についても配慮を怠り二七四グラムの血液を出血させ、縫合糸の選択を誤り、縫合も多層にわたり過強にすぎたために止血には有効でもかえって治療を妨げて縫合不全を招来した旨主張するので検討する。
<書証番号略>によれば、子宮筋腫核出術のために腹壁を切開するに当っては下腹部正中切開が望ましいこと、並びに子宮筋腫核出術にあたっては子宮内膜を損傷しないように慎重に筋腫核を剥離すべきとする立場があることがそれぞれ認められるものの、他方、<書証番号略>、前記証人一宮医師の証言、並びに田中本人尋問の結果によれば、下腹部正中切開によることが絶対的な医学的要請であるとまで認めることはできないし、また、むしろ子宮内膜まで切開すべきという立場もあることが認められ、子宮筋腫核出術に当って子宮内膜を損傷することを禁忌とする立場が一般的であるとは必ずしも認められないうえ、仮に右立場が一般的であるとしても、<書証番号略>に照らすと、本件においては、泰子の子宮に存在した筋腫核が前記のとおり三三〇グラムと大きかったため、本件核出術に当って子宮内膜を切開したこともやむを得ない処置であったことが認められる。
次に、医師が患者に対して外科的処置を施す際には患者の出血を最小限にすべく努力すべきことは当然であり、右<書証番号略>によると、子宮筋腫核出術にあたり筋腫核を除去してもほとんど出血しない例もあるが、右各号証によっても大量出血を伴う場合もあることが認められ、<書証番号略>にも照らすと、本件核出術において二七四グラムの出血があったことが不相当であるとか、右出血が執刀者である田中の不手際によるものであることを認めるに足りる証拠はなく、仮にこれが認められるとしても、右核出術の際に相当量の出血があったことと本件泰子の子宮破裂による失血死との間の因果関係を認めることはできない。
さらに、右<書証番号略>、前記証人一宮の証言、並びに<書証番号略>によれば、子宮筋腫核出術の際、切開した箇所を縫合するにはクロミック腸線(クローム加工された腸線)によるべきとする立場があることが認められるも、<書証番号略>、田中本人尋問の結果によれば、クローム加工していない腸線によるとの立場もあることが認められ、仮にクロミック腸線によって縫合すべきという立場が一般的であったとしても、<書証番号略>及び右田中本人尋問の結果によれば、本件核出術の際、田中はクロミック腸線によって縫合したと認められるので、いずれにしても田中には縫合糸の選択に誤りがあったと認めることはできない。また、右各証拠に照らせば、田中によってなされた縫合が過強にすぎたために縫合不全を招来したとの点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
以上によれば、田中に本件核出術に当たって過失があったと認めることはできない。
2 適切な妊娠指導義務の懈怠について
原告らは、帝王切開や子宮筋腫核出術によって子宮を切開した場合、その後の妊娠における子宮破裂の原因となるので、子宮の手術創が治癒するまでの期間として一年間、少なくとも六か月間は避妊するように指導すべきであり、さらに子宮卵管造影検査等により子宮の状態を観察して適当な時期に妊娠させる義務があるにもかかわらず、田中らは、右各注意義務を怠り子宮壁が完全に治癒していない時期に、子宮の状態についてなんら確認することなく、漫然と本件核出術後早期に妊娠するように指導した旨主張する。
子宮筋腫核出術等による子宮壁の瘢痕が後の妊娠の際の子宮破裂の原因となりかねないこと及び子宮の手術創が治癒するまでの期間は避妊するように指導すべきことはいずれも当事者間に争いがない。しかし、本件においては、前認定のとおり、田中が、泰子に対し、本件核出術後早期に妊娠することを勧めたことは認められず、また、その後田中において妊娠について指導する機会がなかったものであるから、この点において田中に過失があったと認めることはできない。
3 妊娠後の適切な経過観察義務の懈怠について
原告らは、一般に妊娠後分娩までの各段階において、医師は、妊婦、胎児及び胎盤の状態が正常であるかを確認する義務があり、特に本件の場合は子宮筋腫核出術後わずか三か月あまりで妊娠した事例であり、本件核出術部分から妊娠に問題が生じないかにも留意し、超音波断層検査やエックス線検査のような方法を駆使して万全を期すべきであるのに、田中は、昭和六三年六月三日及び同年七月一五日に超音波断層検査を実施したにもかかわらず泰子の異常妊娠に気づかず、その他の検診の際にも慎重な内診や超音波断層検査を欠いた結果、泰子の異常妊娠を看過し、正常妊娠と誤信して泰子に妊娠指導していた旨主張する。
しかし、原告らの右主張は、右各検査のころ泰子が異常妊娠をしていたことを前提とするところ、本件においては、前記のとおり胎児が本件核出術による瘢痕部分から腹腔に向かって成長したものと認めることはできず、その他泰子の異常妊娠の事実を認めるに足りる証拠はなく(むしろ前記伊藤医師の証言によっても、本件は厳密な意味における子宮外妊娠ではなかったことが認められ、<書証番号略>中の「子宮外妊娠」の記載は正確性に欠けるものというべきである。)、右主張は前提を欠くものであって、この点において田中らに過失があったと認めることはできない。
4 ラミナリア設置の際の不手際について
原告らは、胎児摘出処置に当たっては、母体の安全に留意すべきであり、処置の前に十分な検査をして胎児の状態を把握し、子宮外妊娠であれば開腹手術による等の適切な処置をすべきであり、本件胎児摘出処置の際には縫縮手術を考慮してもよいような子宮口の開大があったのであるから、中絶の処置としては抗生物質を投与して様子をみるか、子宮頸管の弛緩剤を投与して様子をみるべきであったのに、田中は胎児摘出処置として、安易にラミナリアを六本も挿入した旨主張する。
しかし本件において泰子に子宮外妊娠の事実がなかったことは前記のとおりである。また前記証人一宮の証言及び<書証番号略>によれば、破水により羊水が出てしまうと胎児が子宮壁に直接触れることになり子宮が刺激される結果、自然に陣痛が発来するのでラミナリアを挿入する必要はなく、単に抗生物質又は子宮頸管の弛緩剤を投与して様子をみれば足り、むしろラミナリアを挿入すると子宮は栓をされた状態となり、陣痛の発来により子宮の内圧が高まり子宮破裂の危険があるとする立場が存在することが認められる。しかし、他方、<書証番号略>によれば、破水により羊水が子宮外に排出されたので、ラミナリアを挿入しても子宮破裂を招くほどには子宮内圧は上昇せず、ラミナリアの挿入は子宮破裂の危険を増大させるものということはできず子宮頸管開大のための処置として医師の裁量の範囲内という立場もあることが認められる。右の事実に、前記田中本人尋問の結果をも総合すると、ラミナリアの挿入自体に子宮破裂の危険があるものとは認められず、また、本件においてラミナリアの挿入が泰子の子宮破裂を惹起したとは認められないことも前記のとおりであるから、この点において、田中に、医師としての注意義務懈怠があったと認めることはできない。
5 子宮破裂を看過した過失について
原告らは、ラミナリアの使用には子宮破裂を招く危険があり、泰子は本件胎児摘出処置直後である昭和六三年九月三日午後二時ころから破裂切迫症状や腹膜刺激症状によって苦しんでいたのであるから、子宮破裂ではないかと疑い、速やかにラミナリアを抜去して緊急開腹手術により子宮裂傷部を縫合するか、あるいは子宮全摘出手術を実施して救命する義務があるのに、田中は、午後三時ころから泰子を三階の病室に放置し、原告達雄が泰子の苦しむ様を訴えても、忙しさにかまけて真剣に受け止めず、単に一回鎮痛剤を注射したのみで漫然とこれを放置し、泰子に対する救命処置を怠った旨主張する。
ラミナリアの使用そのものに子宮破裂の危険があるとまではいえないが、ラミナリアが子宮頸管を拡張させて分娩を促すものであることは前記のとおりであり、加えて、前記証人一宮の証言、<書証番号略>によれば帝王切開や子宮筋腫核出術等により子宮壁を切開したことのある女性の場合には、子宮壁に瘢痕が存在するために、それが後の妊娠の際の子宮破裂の原因となる可能性があるので注意を要すること、妊婦の激烈な下腹痛の場合には子宮破裂であることを疑い、開腹、輸血をしたうえ、破裂部分を縫合して止血するか、又は子宮単純摘出術をすることが必要であることが認められる。
本件においては、泰子は本件核出術後わずか三か月で妊娠していること、その後本件胎児摘出処置としてラミナリアを挿入していること、そして右ラミナリア挿入後の午後三時ころから終始下腹痛の激痛を訴え、原告達雄が三回ほど田澤ら看護婦に泰子が激痛で苦しんでいる旨を伝えたこと、本件子宮破裂は被告主張のように午後五時四五分ころから六時ころまでの間に突発的に発生したものではなく、遅くとも午後三時ころには発症していたものであることは、いずれも前認定のとおりであって、以上のような状況下にあっては、担当医師としては、右核出術による瘢痕が原因となって子宮破裂を惹起する可能性があることを考慮し、少なくとも一回は病室に赴いて泰子を診察し、同人が訴える痛みや同人の容態を自ら観察したうえ、子宮破裂を疑うべき異常な痛みの訴えであると認めた場合には、直ちに必要に応じて開腹手術を実施したうえで破裂部分を縫合する等、子宮破裂が発生した場合にとるべき適切な処置をすべきであったというべきである。
ところが、原告達雄からの右訴えを聞いた田澤らは、漫然と泰子の痛みの訴えはラミナリアの挿入によるものと考え、田中に対し一回しか右訴えを報告せず、右報告を聞いた田中においても泰子の痛みはラミナリアの挿入後のものと安易に考えた結果、田中は、田澤らに命じて、泰子に対し午後三時四五分に鎮痛剤であるペチロルファンを一回注射し、午後五時一〇分に同じく鎮痛剤であるインテバン坐薬を処方したのみで、日常の業務の忙しさにかまけて泰子を直接診断することは一度もなかったことは、いずれもすでに前認定のとおりであるから、担当医師たる田中には、田澤らの右看護上の懈怠と相俟って、右の点において臨床上の医師としての注意義務を尽くさなかった過失があると認めるべきである。
右の点に関し、被告らは、本件子宮破裂は妊娠二二週目の段階におけるものであるが、分娩時以外に子宮破裂を起こすことは極めて稀であり、本件は通常の予測を越える異常な事態であった旨主張するが、<書証番号略>及び前記証人一宮の証言によれば、確かに子宮破裂は分娩時に生じることが多いものの、分娩時以外に生じることも絶無ではないことが認められるうえ、本件において、田中が直接泰子を診察しておれば、ラミナリアの挿入による痛みと子宮破裂による痛みとを区別することは臨床医として可能であり、したがって泰子の子宮破裂を疑うことは十分可能であったと認められるから、仮に被告主張のように妊娠二二週の段階における子宮破裂が通常は起こりにくいものであったとしても、右は、前認定の事実経過の中で田中が泰子を直接診察しなかったことに担当医としての注意義務を尽くさなかった過失があるとの前記判断を左右するものとはいえない。
そして、前認定の事情からすれば、田中としては、遅くとも泰子が意識消失し口から泡を吹いているのを看護婦が発見した午後六時〇分よりも前である午後五時一〇分にインテバン坐薬を処方するように指示するまでの間に、泰子を診察して本件子宮破裂を発見し、輸血及び開腹のうえで破裂部分の縫合又は子宮全摘出手術等を実施していれば、泰子の死という結果を避けることが可能であったと認められる。
五請求原因5(鈴木及び田中の責任原因)のうち、鈴木が田中の使用者であったことは当事者間に争いがなく、前認定の事実によれば、田中に民法七〇九条の責任があることは明らかであり、鈴木については前記の診療契約上の債務不履行責任又は民法七一五条の責任があることも明らかである。
六損害
1 泰子固有の損害
(一) 逸失利益
泰子の死亡当時の年齢が三三歳であったことは当事者間に争いがなく、原告中根達雄本人尋問の結果、並びに<書証番号略>によれば、泰子は高等学校を卒業していたこと、同人は原告達雄の塗装業を手伝う主婦であり定期収入はなかったことが認められる。そして、同人の死亡時である昭和六三年度の賃金センサスによれば、同年の三三歳の高卒女子労働者の平均年収額は二五六万八八〇〇円であり、就労可能年数三四年の場合の新ホフマン係数は19.554である。
したがって、右平均年収から、生活費として三〇パーセントを控除したうえ、中間利息を新ホフマン係数により控除し、うべかりし利益の現価を計算すると、泰子の逸失利益は三五一六万一二二〇円となる(計算式は次のとおり)。
256万8800×(1−0.3)×19.554 =3516万1220
(二) 慰謝料
泰子が死亡したことに加え、死亡に至るまでの苦痛、その他被告医院における診療の経過等前認定の事実を考慮すると、泰子の右精神的苦痛に対する慰謝料は一八〇〇万円をもって相当と認める。
(三) 相続
原告らは、泰子の死亡により、その法定相続分に従い、右逸失利益及び慰謝料を等分して各二六五八万〇六一〇円ずつ相続した。
2 葬儀費用
原告らが、泰子の死亡後、同人の葬儀を行って葬儀費用として各三五万円を出損したことは弁論の全趣旨から認められる。
3 弁護士費用
本件訴訟の経緯、内容、認容額等に照らせば、本件と因果関係がある弁護士費用は、各二〇〇万円が相当であると認められる。
4 総額
以上によれば、原告らは、それぞれ右1、2、3の合計二八九三万〇六一〇円の損害賠償請求権を有する。
七請求原因7(被告らの地位の承継)のうち、鈴木及び田中の各承継関係は当事者間に争いがない。
八抗弁
<書証番号略>によれば、田中禮子及び田中攻は、横浜家庭裁判所に対し、田中の相続につき限定承認の申述をなし、同裁判所は平成四年一〇月六日右申述につき受理の審判をなしたこと、右審判は同月二〇日公告されたことが認められ、他に反証はない。
九結論
以上によれば、原告らは、被告らに対し、前記六4に記載の損害賠償請求権を有するところ、原告らは本訴においてはその一部である各二六七四万三四三八円の限度で損害賠償を請求するので、各被告らの承継分に相当する金員とその付帯請求を求める原告らの本訴請求は、被告田中禮子及び田中攻について前記限定承認が認められる限度で棄却されるほかは、結局のところ全額認容すべきこととなる。よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官山田俊雄 裁判官内野俊夫)